「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」の原作を読んだら主人公がダークヒーローだった件

いやさすがにダークヒーローってのは持ち上げ過ぎか。汚れ役を引き受けて問題を解決する、という意味ではそういう方向性のキャラではあるんだけど、動機と方法が捨て鉢でネガティブ過ぎるから、頭に「自虐的な」という言葉を頭にをつける方向で。

とりあえずアニメの方は見ていて、否定表現な文章タイトルや、ぼっちな主人公が奉仕部という部活に入って美少女と出会うという導入から、主人公がぼっちスキルを発揮して問題を解決をしながら成長し、女の子達と仲良くなるというありがちな話なんだろうな、などというありがちな印象。・・・だったはずのに、アニメの最新話である5話で主人公がある出来事をきっかけに、それまでヒロインの一人から向けられていた言動の全てを否定的に捕らえ、また一人の世界に閉じこもるという予想外の展開を迎えるという。おいおいそこは普通に親密度が上がるイベントだろ?どうなってるんだよ!と、どうにも続きが気になるので、とりあえず1巻だけ買って読みはじめたところ、止まらなくなってしまって既刊の7巻までを一日あまりで読み終えました。

原作は主人公の一人称視点で書かれているためか、主人公の卑屈さとひねくれ具合がアニメを上回る強烈さ。ぼっちあるあるな自虐ネタや問題解決の糸口となる能力として、アニメで放送されてる部分でもすでに見て取れるわけですが、巻が進むにつれてネタやプラスな面だけではなく、痛々しさを強調することで、主人公をさらに掘り下げてる構成になっておりました。
ありがちな話からの転換点はやっぱり、自分が原作を読むきっかけとなったアニメの5話の最後の場面(原作では2巻)。そして4巻で、シカトされてる小学生を救うために、みんな孤立させてしまえばいい的な策を巡らせ、さらに6巻の崩壊寸前の文化祭実行委員会の立て直しと閉会式の事件において、損な役回りは全部オレが引き受けてやんよと言わんばかりの行動でダークヒーローとして覚醒。ここまでは事情を知る人物達からは評価されたりもしてましたが、7巻の修学旅行において相反する問題を解決するためにとった行動が自虐的すぎて、事情を知る人物達からも哀れまれたり非難されたりという。
結果として、救われる人もいるんだけど、それ以上に主人公自身や周囲の人間を傷つけるやり方で、そりゃ「そんなやり方しかできないのか」とか「そのやり方は嫌い」などと攻められてしまうのも無理もないなと。とはいえ主人公は、肯定の裏に隠された意図を見いだして不安を覚え、否定されている方がむしろ安心するという捻くれた人物なので、むしろそれが当然と考えている節があるわけですが。
だとしてもそんな考え方しかできないのは不幸過ぎるわけで、この先主人公が成長し、正統派のヒーローとまでは行かなくても、せめて自虐を捨てて前向きに生きていける展開となることに期待。アニメについてはどこまで話を進めるのかは分かりませんが、5話を見る限りではタッフも原作の肝をちゃんと把握しているようなので、こちらにも期待したいところ。

主人公が他人とは思えないせいで彼のことばかり書いたけれども、ヒロインたちをはじめとして彼をとりまく人物も魅力的。女の子がデレたりする恋愛要素ももちろんあって、そういう場面においても、助けてあげて即落ちみたいなチョロさではなく、惹かれていくまでの心の動きが丁寧に描かれていてより可愛らしく思えました。
やっぱヒッキーとくっつくは、ゆきのんかなぁ、でも世界に対する認識がヒッキーと似すぎてて自家中毒起しそうだし、やっぱそこら辺は何も考えてなさそうなのガハマさんの方がとか、むしろヒッキーのことを一番良く理解し、かつ結婚観において利害の一致する平塚先生でいいんじゃね?などと妄想が膨らませてみたり。
いずれにしても、主人公がこのままじゃ誰とくっつくにしても、彼が自滅して破局を迎える未来しか見えないわけで、この先の物語で違う道を示してくれるんじゃないかなと。

「AURA 〜魔竜院光牙最後の闘い〜 」と「HK 変態仮面」を見てきた

まずAURA。中二病を扱った作品と言うことで封切り前からアレに似ているなんて噂が耳に入ってきたりしてましたが、こちらは原作の刊行が2008年なので、むしろそれ系としてはかなり早い時期の作品になるようで。
内容的にも現役中二病のヒロインと元中二病の主人公が出会って惹かれ合う、みたいな感じなわけですが、ヒロインが露骨に奇異の目にさらされた上に敵意を向けられイジメを受けたり、主人公も過去にそれ絡みでイジメを受けたり、家庭崩壊を経験していたりと、類似の作品とは異なり痛々しさが前面に出ている印象。イジめる側が「制服を着用しないのは校則違反」などと正論で責めてくるあたりも、「特別な自分」が実はただ単にルールから外れた存在であることを突きつけているようでした。
主人公が過去に同じ病を患った者としてヒロインを受け入れ助けながらも、その過去のために彼女を拒絶することになるのは、現実を受け入れたが故の弱さであるわけですが、その彼がクライマックスでその過去を全校生徒たちの前でさらけ出し、狭量な現実に対する恨みをぶちまけながらも、それでも折り合いをつけて生きていくことを訴える姿は格好悪くも格好良くて謎の感動がこみ上げてきましたよ。
中二病という特殊な題材を扱っているものの、現実世界におけるちっぽけな自分を受け入れようとあがく二人の姿は、そういう特殊な方向に行かなかった人たちの共感も得られるんじゃないかと思われるところ。自分も封印したはずの記憶が漏れ出しそうになりつつも、現実と向き合うことを選んだ二人を応援してあげたくなりました。
 

で、遠出したついでに「HK 変態仮面」も見てきたんだけど、こちらはチープすぎくだらなすぎて笑うしかないというB級感あふれる作品。
唐突感アリアリな展開だったり、見るからに安っぽいCGだったり、校舎の上からジャンプ→次の瞬間に着地みたいな、カット割りで危険なアクションを誤魔化す手法だったりと、今時朝のスーパーヒーロータイムでももっとちゃんとしてるだろと言いたくなるような作りなのに、変態仮面があのコスチュームでポーズを決めるだけで笑ってしまうという。
終盤にニセ変態仮面ってのが登場して、ある意味本物を上回る能力があるんだけど、それを表現する役者さんの力演がインパクト大。で、本家とニセの決着の前に、その能力の強さについて種明かし的なものがあるんですが、あまりのくだらなさに劇場で見ていた人が一斉に噴き出したりして楽しかったですよ。

そういえばこっちも本当の自分をさらけ出す話だったなぁ、などと思いつつ、こんな作品が生まれ受け入れられるんだから、現実だってそんなに悪いモンじゃないよなどとAURAの二人にも言ってあげたくなってみたり。

アニメ版の「惡の華」の作画をアレにした意図について考えてみる

まあ狙いは分かるんですよね。
今時文学に傾倒しちゃうような中学生である主人公が世界に対して抱いているであろう違和感を視聴者に追体験させるという意味で。
わざわざ実在の役者に演技させた実写を用意し、それをトレスしてアニメにするという手法によるリアルな動きと、アニメ塗りによるフラットな質感によってアンバランスな印象を与えようとしているんでしょう。それによって主人公が抱く世界に対する違和感を、情報量の狂った映像による違和感という形で視聴者に追体験させているわけです。
とはいっても、放送後のネットの反応を見た感じでは、違和感についてはストレートに伝わったものの、そのまま拒否感へと繋がった人が多かったようで、そればかりが話題になっている模様。アニメはこれまで、可愛い女の子といった見た目の楽しさが追求してきたわけで、それを差し置いて変な絵で鬱屈した主人公の追体験とかやられても、そりゃ伝わらないよな、と。そもそも原作のほうは適度に漫画的なデフォルメされた絵柄で話を進めているわけですし。
結局のところ、アニメ的でない手法を試みたものの従来の枠からはみ出しすぎていて拒否感のほうが大きかったわけですが、一方で、こういった試みが放送にまでこぎつけちゃうあたり、まだまだアニメというジャンルにも勢いがあるんだなぁと安心しましたよ。

ムシブギョーのアニメが夕方放送なのに乳揺れやら褌チラやら粘液プレイやらといろいろがんばってて気分がいいので、久しぶりに更新してみましたよ。

[その他]ここ最近のGJ部が気になるのは、ユルさ中に男女の距離感みたいなのが隠されているからじゃないかという話。

はじめはよくあるダベりアニメかと思ってて、それはまあ今でもだいたいそうなんだけど、最近の何話かで普通のダベりアニメの枠には収まりきらない何かを感じるようになってきましたよ。
で、何が違うのかと考えてみたところ、それはキャラクターたちのスキンシップよって浮かび上がる男女の距離感にあるんじゃないかというところに至ったのでそれについてあれこれ書いてみようかなと。

まず顕著なのはキョロがしおんさんの髪をすく場面。キョロが彼女の髪の乱れを意識するところから、しおんがブラッシングを受け入れ、そして二人の間に緊張感が漂いつつも、お茶が入って解放されるという流れ。
異性に髪を触らせるというのは、女性に特別な意味のあることじゃないかと思うわけですが、それを許すくらいには親しい一方で、実際に触っている間はお互いに緊張を覚えるという描写に、妙な生々しさがありました。
キョロのブラッシングは妹や恵に対しても繰り返され、それぞれが頬を赤らめたり吐息を漏らしたりと徐々に反応が強くなって、それももちろんエロかったりするものの、やはり要となるのは、髪を触らせることで表現されるそれぞれの微妙な距離感を見せることにあるんじゃないかなと。
また部長が素足でキョロにマッサージをするあたりは、キョロと部長の親密さがほかのキャラクターとは違う形であることをうかがわせていたり。

何というかこの距離感はエロティシズムとでも言えばいいんですかね。直球なエロではなくて、ちょっと遠回し感が漂っているという意味でのエロティシズム。接触を抑制し微妙な距離感を意識させることで、まるで女の子のぬくもりがほのかに感じられるかのような表現で、映像では伝わらないはずのものを見る側に伝える優れた演出となっておりました。
「スーパーキョロ」によって、どちらかと言えばキョロが受身のGJ部内の関係に それとは逆の方向性が画されていることを浮かび上がらせるあたりも面白く。

まとめると、やっぱりユルさが売りの作品でも、ホントにただユルいだけじゃダレまくって見てられないわけですよ。ストーリーらしいストーリーがなくても、というかむしろないからこそ、二十数分の間、画面に意識を向けるためには話の中での緩急が必要となるわけで。この作品では濃いめのスキンシップを描き、それによって意識される男女の距離感によって緩急の元となる緊張を生み出しているように思いました。

ドキドキ!プリキュア 第一話感想

ヒロインが異世界から来た存在によってプリキュアに選ばれるというおなじみの導入。
前向きで人のために尽くす、というのもおなじみのヒロイン像ですが、実際に生徒会長としてそれをこなしているあたりは、これまでにないタイプの印象。他人のことにかまけすぎて自分のことは大丈夫なのかと、心配になってくるあたり、イヤミにならないようにバランスが取れているようです。
ただ変身の前後で髪色が、ピンク→黄色になるあたりはいまいちしっくり来ない感じ。他のメンバーは前後で同系色であることに加えて、変身前に黄色がいるため混乱しそうですよ。まあこういうのは見ているうちに慣れるんだろうとは思いますが。
メインの子がはじめからスペック高めなあたり、話を作るの難しいんじゃないのかなぁと思う一方で、逆にこれまでにないものが見れるんじゃないかと期待をもたせてくれる第一話となっておりました。
 

個人的にはもう一人のプリキュアキュアソードちゃんが気になるところ。凛々しい顔立ちや薄紫の髪という容姿、そして冒頭で国を守れなかったというトラウマまで明かされ、クールキャラとして期待を高めてくれたのに、いざ戦いはじめたら雑魚敵のカニに挟まれて身動きできないという。外見や背負ったものの大きさを覆すヘタレな姿にときめくものがありました。タイトルにもあるドキドキは、この子の中にある、とか書いて締めてみたり。

峯岸みなみの丸刈り謝罪のような出来事を繰り返さないためにはBLが必要だという話

基本三次元に興味はないんだけど、今回は痛々しい姿に思うところがあったので。
男との関係を疑われる報道があっただけで、そこまでするのは空恐ろしいものがありますが、本人の意志によるということになっているし、AKBという名はそれだけの重さがあるということでしょうか。
AKBという虚像の大きさを改めて認識しつつ、自ら進んで偶像となりながらもそれに徹することが出来なかったり、そのような存在に幻想を重ねてしまったり、幻想を利用して利益を上げるシステムを作ってしまったりと、いろいろな面で人間の罪深さの現れているなぁ、などと思いました。

二次元LOVEな自分としては、そんなめんどくさいことのない二次元の方がいいじゃない、とか思ったりもするわけですが、やっぱり世間的には生身という媒体がある方が訴求力があるようで。
二次元にしろ三次元にしろ、こちら側と向こう側で隔てられてるので大差ないけれども、幻想を重ねる対象の有無という点で決定的に異なるわけです。

で本題なんですが、生物である以上、恋愛をはじめとする性に対する興味はなくならないと思うんですよね。
禁止したからといってその欲求までなくすのは無理。
自分にしても三次を切り捨てる一方で、二次に対しては近似の感情を抱いているわけですし。

そこで考えたんですが、自分や他の多くの二次元愛好家と同様にAKBの人たちも二次元を愛好すれば、この問題を解決できるんじゃないかなと。
女性だからBLとか推奨してみるのはどうでしょうか(提案)。

戦国コレクション感想

ニコ生でやってた5夜連続放送で再視聴しましたが、やっぱり面白かったですよ。
オムニバス形式でエピソードごとに主人公が入れ替えつつ、著名な映画を下敷きにしたり引用したりパロディしてみたりとバラエティ豊かな作りで、ネタ元の映画は知ってたり知らなかったりだったけれども、分かっていれば「ああアレね」と思える程度の扱いとなっていて、知らなくても十分に話が分かる絶妙な味付けといったところ。オムニバス形式ならではの密度の高い短編の数々を楽しませてもらいました。
実のところTVで見たしソフトも揃えてるんだけど、ニコニコで実況しながら見ると、前とは違う印象を受けるエピソードがあったりコメントで気づかされることがあったりで、これはこれで有意義な視聴法なんだなぁと思いましたよ。

印象深いエピソードと理由を挙げてみると
5話の朴伝回:「ボウリング・フォー・コロンバイン」の形式を取り入れつつ、そのやり方を茶化すというパロディが秀逸。
7話の芭蕉回:五七五調のセリフ回し。行き詰まった登場人物たちが、芭蕉との出会いで再び動き出すのが気持ちいい。
8話の秀吉回:理解しようと思って見るとシュールな展開で煙に巻かれてしまうという。
17話の劉備回:劉備の一途さが、頑なな老婦人の心を開いていくのがいい話でしたよ。
18話の吉継回:油絵調の背景とBGMなしということで、個性的なエピソードが多い戦コレの中でも特異な作り。話としても強烈でしたが、二人の間には確かに残された物があり希望を感じさせました。
19話の光秀回:推理物のお約束やパロディをふんだんに盛り込みながら、戦国武将たちが現代に来た理由というシリーズ根幹の設定に迫る力作。
21話の信玄回:2001年かと思ったらナイトライダーもあったりするという。人間味あふれる信玄さんとロボットのフサードとのやりとりが面白く。信玄さんのこぼれそうなおっぱいも見所。
23話の経久回:幼稚園児が砂場で銀英伝。清水くんの忠臣ぶり。これまでも微妙な扱いだった信長さんの株が、オチのせいでどん底
26話の最終回:Bパートが感慨深く。時間をかけて全話見たからこそ味わえる到達点。

ここに挙げなかったエピソードも総じて丁寧な作りでどれも楽しめるものでしたよ。
アニメが終了してからも何らかの企画が動いているような話も聞こえてくるので、続編なりなんなりを期待してます。