「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編]叛逆の物語」における暁美ほむらは悪魔というほど悪いヤツじゃないよ、という話

時間ができたんで叛逆の物語をもう一度見てきましたよ。初見では密度の高い話について行くのがやっとだったけれども、二回目ともなると、いろいろと落ち着いて見れたりもして、ほむらが救済を拒む場面とか、来るぞ来るぞ・・・キター!!みたいな感じで、話が分かっているからこその楽しみもありました。
で、落ち着いたところで思ったんだけど、ほむらって悪魔と言うほど悪いことしてないんじゃね?っていうのがありまして。まさかの救済拒否と改変後の悪の女幹部的な容姿や言動のインパクトのせいで、なんとなく納得していたものの彼女がもたらしたものをよく考えてみると。

ほむらの世界改変により、
神となったまどかの一部が引き裂かれ、人間としての彼女が存在する世界を生まれた。結界内で語られたとおり、これはまどか自身の隠された願望でもある。
円環の理により消滅するはずだったさやかも復活。なぎさも登場していたことから、魔女となって消えるはずだった他の人物たちも存在してることがうかがえる。
円環の理は機能している。悪魔化したあとのさやかとの会話で、人間だったころの記録だけ奪ったと言ってるから。(ただし、さやかが消滅していないあたり、世界の改変に合わせた変化がありそう。)
と、まど神様にもできなかったことをやってのけているわけで、結果としてはむしろほかの登場人物たちにとって幸せな世界になっているという。

にもかかわらず、ほむらが自身を悪魔と呼ぶのは、
結界を作り出した人物を捜す過程における、まどかの祈りを悪用しているヤツがいる的な発言。神像を思わせるレリーフの前であることもポイントか。
また復活後のまどかに、ルールを破って自分の願望を叶えようとすることの是非を問い、ルール破りはよくないとの答えを引き出す。それに対してほむらは、いずれ対立することになるという予言めいた返答。
とこんな感じで、結局のところ悪魔であるとする理由は、まどかの倫理観と彼女を絶対視するほむら自身の価値観に反していることしかないわけですよ。

擦れたオッサンとしては、みんなハッピーなんだから細かいこと気にするなよ、とか思ったりもするわけですが、その思春期らしい純粋さこそが世界に変革をもたらす原動力でもあるわけで、そう簡単に割り切れる物ではないという。想いの力で世界が改変できるくらいだから、たいていの問題は解決できそうなもんだけれども、想いの数だけ理想の世界があるわけで、それはそれでややこしいことになってしまいました、と。
ともかく、悪魔と呼ぶにはあまりにも純粋なほむらが、このままじゃ救われなさ過ぎるので、どうにかしてあげて欲しいですよ。まどかとほむらがお互いの想いをぶつけ合えれば、お互いが幸せになれる方法も見つかるのかもしれないけれども、片方は記憶すらないのでそれも不可能なわけで。今作でほむらが自分の作った結界の中で、まどかの隠された願望を知ったように、まずはそれを可能にする舞台作りからですかね。