ストライクウィッチーズにおけるパンツのようなズボンについての考察

放送当初から各所で話題になっているので、すでに出遅れた感もありますが、やはりこのアニメを語る上では外せないので自分なりの考察を。
とにかく初見のインパクトが大。放送前に情報が出始めた頃から、女の子がパンツを丸出しにしているアニメということで注目されていたわけですが、放送がはじまると、見せている本人たちどころか周囲の人物たちもそれを全く当たり前のこととして振る舞っていることが分かって二度目のインパクトが。さらに7話において、作中の人物たちがアレをズボンとして認識しているという驚愕の事実を明らかにすることで、視聴者の感じる違和感を作り手がコントロールすることでネタとして上手く転がしていた印象。一つの設定で三度も驚かされるのも滅多にない体験で、この点だけをとっても忘れられない作品になりそうですよ。
丸出しを作中の人物としては当たり前の格好とすることで、関係のないサービスを入れて物語を中断することなく、そういう風に見ることも・・・というか思い切りアップで映したりして、そう見ることが前提になっているわけですが、とにかく物語とサービスを両立させるのは見事な解決策。
これとよく比較される作品にAIKaがあるわけですが、ローアングルの多用でパンツを見せまくる作風は、作る側の見せようという意識が常に感じられて時として押しつけがましい一方で、この作品世界では普通という理由をつけることで、見えているのが当たり前という状況を作りつつシュールな味わいすら加えてくるのが、大きな違いとなっているように思いますよ。
芳佳役の福圓美里がイベントで、機会があって同じ格好をしたときに「ないわ・・・」と思ったことを語っていたそうですが*1、リアルであり得ないものがアニメではアリに思えるのは、セル塗りによって描かれたものすべてを均一な質感にしてしまうセルアニメならではの特権といったところでしょうか。アニメならではの表現という意味では、NBonlineのインタビュー*2谷口悟朗が、ロボットについて語っていることに近いのかも知れず。
とまあ、とりとめもなく書いてみましたが、「パンツじゃない」の一言でこれだけいろいろな意味が生まれてくるあたり、もしかしたら芸術的に凄く深いんじゃないかと思えたり。アニメの表現をおおきく拡げる可能性があると言ったらさすがに大げさかもしれないけれど、とにかくいろいろと考えたり気づかされたりするキッカケとなっておりました。