シムーン 第26話「彼女達の肖像」

大人になった登場人物たちの姿と翠玉のリ・マージョン行うアーエルとネヴィリルの姿を交互に見せるのは、それが彼らの今を支える共通の思い出であることを意識させると同時に、見る側の緊張感を持続させる上手い作り。
それぞれの道を歩む登場人物たちは、みな現実と向き合って生きていることが感じられて、この点ではキレイにまとまっておりました。性別を選んで大人になった姿は感慨深く、特に移り気な少女だったフロエがアルクス・プリーマの残骸の側で思い出を引きずるように暮らす姿とモリナスの肝っ玉かあさんぶりが印象的。
アーエルとネヴィリルについては、ダンスをするイメージシーンがあるだけで具体的なその後が描かれず。2クールかけて積み重ねてきたメインの二人による最大のイベントを、誤魔化されたようでモヤモヤした感じが残るんだけれど、あえて具体的に見せないことで、妥協せずに永遠に高みを目指す青春の象徴みたいな感じにしたかったんでしょうか。
登場人物たちの動向がメインで物語の設定や謎については、よく言えば視聴者の解釈に委ねた、悪く言えば投げちゃった最終回。くり返し使われてきたタンゴに合わせて、廃墟となった船に残るラクガキで締めるのは、余韻の残る終わり方でよかったですよ。

 
・まとめ
第一話のかなりの部分を敵国の兵士のモノローグに費やしたりして、今にして思えばシムーンの神秘性みたいなのを視聴者に伝えようとしていたのが分かるわけですが、奇をてらった見せ方だなぁというのが第一印象。第二話でアーエルの「シヴュラになれば性別を選ばなくていい」という発言で、その後の展開の道筋は示されていて、最終話までその点ついては一貫していたわけだけれど、初期の数話については各話の繋がりが不自然だったりして、戦争という状況と少女たちの葛藤を描くみたいな方向性が、上手くかみ合ってなかったなぁというのが正直なところ。
雰囲気が変わったのはマミーナが登場して大自爆を見せてくれたあたりからで、舞台がメッシスに移ってシヴュラたちの共同生活を中心に見せるようになってからは、日常生活の描写が増え、それぞれの絡みの中でキャラが立って愛着が持てるようになり、その後はドミリモの翠玉のリ・マージョンからマミーナの死まで怒涛の展開。シリーズとしてのクライマックスはこの二つの出来事で、残りの話については長いエピローグといったところだけれど、少女達が大人になることを受け入れる様子を丁寧に描いてくれて青春の終わりみたいなのを感じさせてくれました。二人一組でシムーンを動かすという設定もキャラクターの関係性を掘り下げるために上手く機能しておりました。
アーエルとネヴィリルについては、ネヴィリルがアーエルを受け入れる過程を時間をかけて見せてくれたけれど、自分の感情に戸惑うアーエルがネヴィリルを受け入れるまでが終盤に詰め込まれて、二人が翠玉のリ・マージョンを行うため下準備的な感じが強くでてしまったのが残念。アーエル側の変化をもう少し丁寧に描いていたら、最後に二人が新天地に旅立つところが更に盛り上がったんじゃないかなぁと思いましたよ。
時々思わせぶりに鳴りだすアーエルの風琴や、彼女の祖父の正体、祖父のために彼女が低く扱われる理由、ドミヌーラとリモネが過去へ飛んだことの影響がよく分からなかったり*1と、細かいところでは放置されてるように感じられる設定があるのが気になるところ。ヒントはちりばめれれているので想像する楽しみはあるわけだけれど、もうちょっとスッキリさせて欲しかったような気も。
全体としては、登場人物たちが互いに影響しあうことで心情が変化していく様子を巧みに見せくれて、少女たちの成長物語としてはとてもよく出来ていた印象。作画的には波がけっこうあったけれど、西田亜沙子の柔らかい感じのキャラクターデザインは魅力的で、タンゴやワルツといったアニメではあまり使われない曲種を取り入れたBGMも新鮮。オーケストラを使った重厚な音づくりが物語の盛り上がりに大きな役割を果たしておりました。
原作つきのアニメが大多数を占める中で、アニメ先行の企画として異彩を放っていて、確かに細かいほころびはいくつかあったけれど、毎回キャラクターたちの動向や意表をつく展開に楽しませてもらったのも事実。DVDのセールス等商業的には厳しいようですが、これからもこういう意欲的な企画が増えて欲しいなぁと思いました。

*1:二人が過去へ行ったから、あの世界が作中で描かれる状態になったということなのかもしれないけど