「宇宙をかける少女」の失敗を「キスダム」との比較を通して考える

舞-HiME舞-乙HiMEを手がけた小原 正和が監督となり、サンライズが再び送る美少女てんこ盛りアニメということで、それなりに期待されていた「宇宙をかける少女」ですが、放送開始から4ヶ月以上が過ぎ、20話を迎えた今でも未だに迷走感漂っていて、このまま残念な出来で終わりそうなので、その原因について似たような境遇にありながらカルトな人気を得るに至った「キスダム」と比較して考えてみようかなと。
結論は二つ。「ダメならダメで思い切ってやり直す」「主人公は物語を引っ張る強度がないと邪魔なだけ」
 

  • 「そらかけ」の問題点

失敗の理由としては、序盤の第4話でシリーズ構成の花田十輝が降板したりして、制作現場の混乱が尾を引いているのは間違いないところで、たしかに彼が脚本を担当していた序盤は、素人目にも明らかにおかしく感じられるところが多々あったのも事実。
具体的には、経緯の説明や動機付けがろくにないままに主人公である秋葉がレオパルドのパーツを集めるために盗みを働くことになっていたり、箱人間が初めて登場する話では、秋葉と一緒にエアカーに乗っていたはず友人がいつの間にかいなくなっていたことをはじめとして、作中の人物と事件の起きている場所の位置関係が滅茶苦茶でどこで誰が何をしているのかサッパリだったりと。
脚本がはじめからおかしかったのか、それとも降板による混乱でおかしいことになったのかを外部からは知る由もないんだけれども、いずれにせよシリーズ構成が降板という形で仕切り直しが入り改善が図られた関わらず、その後も好転するどころかグズグズなまま、ここまで来てしまっている印象。
その原因として主人公である秋葉が基本的に受け身で積極的に動かないことがあって、例えば、一緒に行動しているのにほとんど関係性が発展しない秋葉をはじめとするメインの3人、同様に毎回憎まれ口を叩きあってるだけの秋葉とレオパルド、秋葉のキャラが薄いので一方通行になっているナミとの確執、そして最新の20話に至っては、秋葉は箱に閉じ込められて困ってだけで、しかも彼女が不在の方が脇役たちが動いて、敵に対して一致団結みたいな方向に話が進むという。受け身な人物で動かしにくいんだろうけど、主人公なのに作り手から全然愛されてなくて、それがそのまま作品のテンションに反映されているかのようでした。
 

そこで「キスダム」との比較になるわけですが、なぜここで引き合いに出すのかというと、放送前に脚本家どころか監督が降板、第4話で総集編という前代未聞の事態を迎え、未だにDVD化の目処すら立っていないという問題作で、境遇的には「そらかけ」と似ているというかむしろ下回ってさえいる作品なので。
ただ、こちらは放送中からカルトな人気を集め、総集編を迎えたときの終わってる感から、その後の立て直しによって、作品にハマっていく体験を作中の用語を借りて「裏返り」と呼ぶほどに支持されてもいて、まあそこらへんについては、2ちゃんねるの該当スレを見れば、放送開始から2年たった今でも話題にして楽しんでる人たちがいることが分かるかと思います。
総集編までの「キスダム」は、可変戦闘機と謎の怪物が戦う話ということで、歌のない「マクロスF」みたいな感じで正直パッとしなかったわけですが、その路線は総集編を前に人類側が敗北することで早々に終了。総集編をはさんで、死んだはずの仲間たちが甦り必殺技を叫びながらドラゴンボールばりの超人バトルを繰り広げるという驚きの変貌を遂げ、闘いを通してそれぞれの人物像やら主人公との確執やらが掘り下げる、ベタだけど濃いドラマになったわけです。
また、主人公の存在感も大きく、すべての行動の中心に恋人の存在があって、滅亡の危機に瀕した人類よりも恋人の方が大切とでも言わんばかりにその名前を叫び続けるわけですが、そういった強い動機と一貫した行動が、一度やり直したアニメに視聴者を惹きつける要因となっていたんじゃないのかなと。やり過ぎて半分ギャグだと思いながらも、それによって生まれる勢いから目が離せないんですよねこれが。
 

  • まとめ

放送後もファンを惹き付ける「キスダム」にはあって、放送中にもかかわらずシラけた雰囲気を漂わせる「そらかけ」にないもの、それが思い切った立て直しと登場人物の強度ということで上に挙げた結論になると。
まあ、こうやってあげつらってみても過ぎた話だし、作品を取り巻く状況が異なるので一概に比較できるものではないとは思いますが、一視聴者として半年なりそれなりの時間をかけてアニメと付き合う以上、面白いものをみたいわけで、いろいろと考えてしまうところ。「そらかけ」についても、残りの何話かで挽回してくれることを期待してます。
ちなみに放送当時におけるキスダムの感想は→こちら